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御巣鷹、日本航空123便墜落事故/狙いは日本のOSトロンの技術者だった?/Windows躍進、米世界戦略

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御巣鷹、日本航空123便墜落事故/狙いは日本のOSトロンの技術者だった?/Windows躍進、米世界戦略

御巣鷹、日本航空123便墜落事故/

狙いは日本のOSトロンの技術者だった?

/Windows躍進、米世界戦略/

「トロン」が完成していれば、

Windowsの躍進は無かった!

日本航空が墜落した現場から

ミサイル片が発見されており…




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ジャンボ機のあとを、

戦闘機みたいなのが2機追いかけていった

マンションのベランダから

西空を眺めていたところ、

突然雲の透き間から

太陽が射すようなオレンジ色の閃光を見た。

双眼鏡で覗くと両側から青、真ん中から

赤い光を発した大型機が北の方に消えた。

―浦和市に住む住民の目撃証言


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真実を探すブログ 様より抜粋引用
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-698.html


【日本航空123便墜落事故の真実】

日航墜落の狙いは

トロンOSの技術者だった!?

「トロン」が完成していれば、

Windowsの躍進は無かった!



時事ドットコム:日航機墜落事故 写真特集



日本航空が墜落した現場から

ミサイル片が発見されており、

ボイスレコーダーや目撃証言からも…

日航機123便の周囲には

戦闘機みたいな航空機が随伴?

していたことが判明しているのです。


私達が使用している

インターネットというのは

アメリカ軍が世界戦略の

一環で作って広げました。

インターネットを使うには

パソコンが必要不可欠ですが、

これもアメリカの世界戦略に

組み込まれています。

ITや宇宙開発、医療や生命科学、

基礎科学などの

先進の科学技術の開発は

将来の国家の力の源泉である。

実は20年前に日本に

無償のOSが存在した

無償OSというと耳新しいもののように感じるが、

実は20年程前、即ち「Windows」の草創期の頃の

この日本に「トロン」というOSがあったのである。

「トロン」は坂村健・東大教授(当時、助手)が

開発した基本OSで

オープンソースであり

無償なのであった。


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…………………
☆123便 生存者川上氏「前方から懐中電灯の光が近ずいてきたので助かったとおもった。そのあとまた意識が 」
URL  http://ja8119.iza.ne.jp/blog/entry/589773/

引用:

・ジャンボ機のあとを、戦闘機みたいなのが2機追いかけていった

・マンションのベランダから西空を眺めていたところ、突然雲の 透き間から太陽が射すようなオレンジ色の閃光を見た。

双眼鏡で覗くと両側から青、真ん中から赤い光を発した大型機が北の方に消えた。―浦和市に住む住民の目撃証言

◆(垂直尾翼を破壊されても、エンジンには支障のない飛行機が火を吹くはずはないのです)

・飛行機が飛んで行った後から、流れ星のようなものが近くを飛んでいるのが見えた。―長野県南相木村中島地区の住人3人

・生存者救出のために山腹に到着した時、既に自衛隊員が到着していて生存者救出そっちのけで、

(証拠隠滅に)機体の一部を回収していた。(先の特殊部隊と思われる)

日本航空墜落事故、この事件の全貌は未だに明かされていません。

例えば、日本航空墜落事故直後には撮影された生存者がいたのに、その生存者が死亡扱いされていたり、

墜落直後に現場に到着し救助活動開始していた米軍に中止要請が出たことなどなど、上げればキリがないほどです。

もしかすると、若い方はこの事件のことを知らないかもしれないので、簡単に日本航空墜落事故について説明をします。

この事故が発生したのは1985年8月12日18時56分で、日本航空123便が群馬県多野郡上野村の御巣鷹に墜落したというものです。

犠牲者数は520名で、生存者数は4名だけでした。

お盆の帰宅ラッシュ時と被ったことで著名人なども犠牲となり、当時は非常に大きく報道されていたようです。

☆日本航空123便墜落事故
URL  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA123%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85

引用:

運輸省航空事故調査委員会による事故調査報告書[1]によると、乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者(負傷者)は4名であった。死者数は日本国内で発生した航空機事故では2013年8月の時点で最多であり、単独機の航空事故でも世界最多である[※ 2][※ 3]。

夕方のラッシュ時とお盆の帰省ラッシュが重なったことなどにより、著名人を含む多くの犠牲者を出し、社会全体に大きな衝撃を与えた。特にこの事故を指して『日航機墜落事故』『日航ジャンボ機墜落事故』と呼ばれることもある。

1987年(昭和62年)6月19日に航空事故調査委員会が公表した報告書では、同機が1978年(昭和53年)6月2日に伊丹空港で起こしたしりもち着陸事故後の、ボーイング社の修理が不適切だったことによる圧力隔壁の破損が事故原因とされている。これをもって公式な原因調査は終了している。航空関係者や遺族などの一部からは再調査を求める声があるが、現在に至るまで行われていない。


事故機には多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が貨物として積載されていた。また、機体には振動を防ぐ重りとして、一部に劣化ウラン部品も使用されていた。これらの放射性物質が墜落によって現場周辺に飛散し、放射能汚染を引き起こしている可能性があった[7]。このため、捜索に向かっていた陸上自衛隊の部隊は、すぐに現場には入らず別命あるまで待機するよう命令されたという[10]。

:引用終了

ここまでならば良くある普通の事故なのですが、この事故を詳しく調べてみるとあまりにも不可解な点がいくつも浮上してきます。特に象徴的なのは生存者に関する情報です。当時の新聞記事や報道を見てみると、最初は数多くの生存者が報告されていたのに、実際に発見された生存者はたったの4人だけ。

しかも、救助活動に出撃しようとした部隊に対して、中止命令なども出ているのです。その上、重要な情報であるボイスレコーダーも最近までは非公開状態でした。誰がどう考えても、これは変です。

日本航空が墜落した現場からミサイル片が発見されており、ボイスレコーダーや目撃証言からも

日航機123便の周囲には戦闘機みたいな航空機が随伴?していたことが判明しているのです。


画像日航機墜落事故で衝撃を受けた日 |misaのブログ|Ameba (アメーバ)様より

<実は20年前に日本に無償のOSが存在した>

 無償OSというと耳新しいもののように感じるが、実は20年程前、即ち「Windows」の草創期の頃のこの日本に「トロン」というOSがあったのである。

 「トロン」は坂村健・東大教授(当時、助手)が開発した基本OSでオープンソースであり無償なのであった。

 95年に「Windows95」が日本に上陸しパソコン市場を席巻し独占したわけだが、実はその当時、日本の多くのパソコンメーカーはOSとして「トロン」の採用を希望していたのである。

 それがWindows95の独占的な採用になったのは、米国政府からの圧力だったのである。

 即ち、米国政府からの 「スーパー301条」による報復関税や輸入制限の制裁措置をちらつかせた圧力に、当時の日本政府が屈した結果だったのである。

 もしもこのとき日本のメーカーがパソコンのOSを「トロン」にしていたなら、無償というメリットもあって世界中のパソコンに採用されていたかも知れないのである。

 日本の基本OSが世界を席巻し、現在のマイクロソフト「Windows」の躍進やOS市場の独占も無かったかも知れないのである。

<現在トロンは搭載数が世界一のOSである>

 この日本発の基本OSはその後消滅はしなかった。

 「トロン」には、「Windows」に遥かに勝る「省エネ能力」と「高速処理能力」というメリットがあったのである。

 この特長によって、携帯電話、デジタルカメラ、ビデオカメラ、DVD、FAX、コピー機、カーナビ、

銀行のATM、電子ピアノなどあらゆる電子機器が、実は「トロン」で動いているのである。

 何と、現在では、世界で最も搭載数の多いOSに成長しているのである。

 そして、今日のグーグルの「クロームOS」の参入を見たとき、日本の「トロン」は20年も前にその先を行っていたとは言えないだろうか。

 グーグルも米国の企業ではあるが、当時の米国の政治的圧力で「トロン」の採用が見送られたことを、

返すがえす残念に思うのであり情けなくも思うのである。

:引用終了

☆TRONプロジェクト
URL http://ja.wikipedia.org/wiki/TRON%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88

引用:
TRONプロジェクト(トロンプロジェクト)は、坂村健による、リアルタイムOS仕様の策定を中心としたコンピュータ・アーキテクチャ構築プロジェクトである。プロジェクトの目指す最終的到着点のグランドイメージとして「どこでもコンピュータ」ことHFDS(Highly Functional Distributed System、超機能分散システム、1990年代以降はユビキタスコンピューティングとも)を掲げている[1]。1984年6月開始[2]。

TRONプロジェクトは互いに連携するサブプロジェクトによって構成されている。
MTRON - 超機能分散システム(HFDS)全体をコンピュータとして見て、そのOS。
ITRON・μITRON - 組込みシステム向けのリアルタイムOS。携帯電話をはじめデジタル家電分野で広く使用されている。μITRONは元々はワンチップマイコンのROMに内蔵するなどごく小規模な実装のためのサブセットだったが、μITRON3.0以降はITRON全体の新バージョンとしてほぼ全機能を持っている。

BTRON - Business TRONの略。パーソナルコンピューター向けのOS。小学校の教育用パソコンへの導入が決まりかけていたが、1989年に日米ハイテク摩擦を背景とした米国からの圧力(スーパー301条の対象として挙げられた)があったりなどした結果(経緯の詳細はBTRON#通商問題を参照)、実現しなかった。

CTRON - 電話交換機用として設計されたOS。NTTの電話交換機に使用された。

:引用終了

当ブログでは前に説明しましたが、私達が使用しているインターネットというのはアメリカ軍が世界戦略の一環で作って広げました。

インターネットを使うにはパソコンが必要不可欠ですが、これもアメリカの世界戦略に組み込まれています。

元CIA職員のスノーデン氏が暴露したことで多くの人が知るようになりましたが、
Windowsを管理制作しているマイクロソフトはアメリカ政府に個人情報を提供していました。

もしも、ここに日本が開発した高性能OSが参入してきたら、彼らの計画は大きく修正せざるを得なくなったでしょう。

それを考えると、1985年の時点で日本が凄い性能のOSを開発してしまったことは、彼らからしてみれば、非常に大きな脅威であることは容易に想像することが出来ます。

日本航空が墜落した現場からミサイル片が発見されており、ボイスレコーダーや目撃証言からも日航機123便の周囲には戦闘機みたいな航空機が随伴?していたことが判明しているのです。

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………………………
日航機墜落事故で衝撃を受けた日 |misaのブログ|Ameba (アメーバ)様より引用

墜落事故は、圧力隔壁の破損だと未だに信じている方は、是非「日航機墜落事故の真相」を調べて下さい。

日航機123便の墜落事故は、戦後の日本最大の捏造事件であり、全ては闇の中に葬り去られてしまいました。

マスコミは決して報道しませんが、123便は、ミサイルにより垂直尾翼を失いダッチロールに陥ったのです。

座席最後部から5番目に座っていた小川哲氏はオレンジ色の飛行物体が接近して来るのを撮影していました。



このミサイルはどこから飛んで来たのか、試運航中であった新型護衛艦「まつゆき」からでしょうか?

知らないうちに、123便を狙うように設定されていたのでしょうか。

30分にも及ぶダッチロールの中、乗客は恐怖と戦い、ついには死を覚悟して遺書を書きました。

河口博次さん(52)の遺体の上着の胸ポケットに入っていた手帳に書かれていた遺書

『マリコ 津慶 知代子 どうか仲良くがんばってママをたすけて下さい
パパは本当に残念だ
きっと助かるまい
原因は分らない
今五分たった
もう飛行機には乗りたくない
どうか神様 たすけて下さい
きのうみんなと 食事をしたのは
最后とは
何か機内で 爆発したような形で
煙が出て 降下しだした
どこえどうなるのか
津慶しっかりた(の)んだぞ
ママ こんな事になるとは残念だ
さようなら
子供達の事をよろしくたのむ
今六時半だ
飛行機は まわりながら
急速に降下中だ
本当に今迄は 幸せな人生だった
と感謝している』

遺書とメモ書き

また、事故で亡くなった坂本九さんの身元判明の手掛かりとなったのは、結婚式を挙げた笠間稲荷神社のペンダントが、胸に刺さっていたからでした。

事故機にたまたま乗り合わせてしまって亡くなられた520名の方のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

日航機が墜落したのは、群馬県多野郡上野村にある、高天原山(たかまがはらやま)山系に属する無名の尾根の標高1,565m付近でしたが、なぜか「御巣鷹山」に墜落したと伝えられ、混乱を招きました。

結局、あれから無名の尾根は御巣鷹山という名前になりました。

本当は墜落場所は早期に分かっていたにもかかわらず、発見が遅れた事にして現場では隠ぺい工作と共に、生存者の口封じが行われていたようなのです。

現場に民間人として1番最初に踏み込んだM氏の証言があります。

http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/9218d78bddf9f12a9d7bdc8ebec1c10a

乗客は、墜落時にはまだ生きていたのです。

奇跡的に助かった落合由美さんと川上慶子さんの証言からもそれが分かります。

☆☆☆

<落合由美さんの証言>

『墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。

そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。

「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。

次に気がついたときは、あたりはもう暗くなっていました。どのくらい時間がたったのか、わかりません。

すぐ目の前に座席の背とかテーブルのような陰がぼんやり見えます。私は座ったまま、いろんなものより一段低いところに埋まっているような状態でした。

左の顔と頬のあたりに、たぶんとなりに座っていたKさんだと思いますが、寄りかかるように触っているのを感じました。すでに息はしていません。冷たくなっていました。

シート・ベルトはしたままだったので、それがだんだんくいこんできて、苦しかった。右手を使って、ベルトをはずしました。

動かせたのは右手だけです。頭の上の隙間は、右手が自由に出せる程度でしたから、そんなに小さくはなかったと思います。

右手を顔の前に伸ばして、何か固いものがあったので、どかそうと思って、押してみたのですが、動く気配もありません。それを避けて、さらに手を伸ばしたら、やはり椅子にならぶようにして、三人くらいの方の頭に触れました。

パーマをかけた長めの髪でしたから、女性だったのでしょう。冷たくなっている感じでしたが、怖さは全然ありません。

どこからか、若い女の人の声で、「早くきて」と言っているのがはっきり聞こえました。

あたりには荒い息遣いで「はあはあ」といっているのがわかりました。まだ何人もの息遣いです。

それからまた、どれほどの時間が過ぎたのかわかりません。意識がときどき薄れたようになるのです。

寒くはありません。体はむしろ熱く感じていました。私はときどき頭の上の隙間から右手を伸ばして、冷たい空気にあたりました。

突然、男の子の声がしました。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と、男の子は言いました。

学校へあがったかどうかの男の子の声で、それははっきり聞こえました。しかし、さっき「おかあさーん」と言った男の子と同じ少年なのかどうか、判断はつきません。

私はただぐったりしたまま、荒い息遣いや、どこからともなく聞こえてくる声を聞いているしかできませんでした。

もう機械の匂いはしません。私自身が出血している感じもなかったし、血の匂いも感じませんでした。吐いたりもしませんでした。

やがて真暗ななかに、ヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。

これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。けれど、ヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。

帰っちゃいやって、一生懸命振りました。「助けて」「だれか来て」と、声も出したと思います。ああ、帰って行く・・・・・。

このときもまだ、何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。しかし、男の子や若い女の人の声は、もう聞こえてはいませんでした。

体は熱く、また右手を伸ばして冷たい風にあたりながら、真暗ななかで、私はぼんやり考えていました。

私がこのまま死んだら主人はかわいそうだな、などと。父のことも考えました。母親が三年前に亡くなっているのですが、そのあとで私が死んだら、とても不幸だ、と。

母は私がスチュワーデスになったとき、「もしものことがあったときは、スチュワーデスは一番最後に逃げることになっているんでしょ。そんなこと、あなたに勤まるの?」と、いくらかあきれた口調で言っていたものです。

それからまた、どうして墜落したんだろう、ということも考えました。時間がもう一度もどってくれないかなあ、そうすれば今度は失敗しないで、もっとうまくできるのに。いろんなことが次々と頭に浮かびました。

涙は出ません。全然流しませんでした。墜落のあのすごい感じは、もうだれにもさせたくないな。

そんなことも考えていました。そして、また意識が薄れていきました・・・』

<川上慶子さんの証言>

『墜落したあと、ふと気が付いたら周囲は真っ暗だった。

あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生きていたような気がする。

しばらくすると前方から懐中電灯の光が近ずいてきたので助かったとおもった。そのあとまた意識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが救助の人は誰もいなくて、周りの人たちはみんな死んでいた。』

☆☆☆

この証言の後、お二人は多くを語らなくなりました。

また、M氏も命を狙われたようで、2010年5月16日の講演の2週間前、車の後輪がバーストするという事故に遭っています。

あわや死亡事故につながる緊急事態を咄嗟の運転テクニックで回避し、後に損傷部分を検証してもらうと、軍関係者しか持たない熱戦銃によるものと判明したそうです。

事故の徹底的な隠ぺいの裏には、一体何が潜んでいるのでしょうか。

一番の理由は、アメリカがプラザ合意をさせるために仕組んだものだとみる事ができます。

さらに、123便を選んだのは、プラザ合意に反対していた関西の財界大物4名と、松下トロンOSの技術者17人、また、当時の日本を代表する脳神経学者の一人である塚原仲晃氏の命を狙ったとの憶測もされています。

プラザ合意の目的は日本経済の解体にありました。

日本をバブルで巨大化させた後に大爆発させる計画でした。

しかし、日本がなかなかプラザ合意に同意しなかったため、脅しの為に123便は撃墜されたとみられているのです。

しかし、事故調査にあたっていた前橋地検の山口悠介検事正が「事故原因をぎりぎりまで追究すれば、戦争になる。」と言っているように、真実は決して表には出せないようです。

無念です。犠牲になった方々がこれでは浮かばれません。

これが私たちの生きる世の中の真実なのです。

知らなければ知らないで幸せに暮らしていけるのかもしれません。

でも、裏の世界を知って、それでもなお、地球にとって人類にとっての本来進むべき道をめざすという方々が今、急激に増えているのを感じます。

世界を牛耳る勢力にとっては、小さな抵抗かもしれませんが、ハチドリのひとしずくでも、たくさんのひとしずくが集まれば、山火事をも消せると信じています。

misaのブログ様より
http://s.ameblo.jp/aries-misa/entry-11591528703.html

引用終了

=====

~中略~

つまり、生存者を意図的に助けないで放置していた疑いがあるということです。というか、

アメリカ軍が撤退したことからも、これはほぼ確実であると言えるでしょう。

では何故、生存者の救助を遅らせたのでしょうか?

その原因は日本航空に乗員していた搭乗員にあると私は推測しています。

墜落した日本航空には日本初のOS「トロン」を開発した技術者ら17名が乗っていたのです。

「トロン」とは「日本版Windows」みたいなもので、当時は非常に画期的な物でした。

トロンが導入されていれば、それこそ、

「日本にはWindowsを使用している企業は殆ど居なかった」と言われるくらいに凄い物です。

~中略~

歴史にIFは禁物と言われていますが、日本航空墜落事故が無ければ、今の世界は大分違った物になっていたかもしれません。

「日本航空墜落事故の謎が公の場で公開されると戦争になる」と指摘している専門家も居ますが、

私は亡くなった方のためにも、何とかしてこの事故の真実を公の場で政府が公開して欲しい思います。

真実を探すブログ様より抜粋引用、詳細はこちら
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-698.html

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JAL123便墜落事故の真相① 助かるべき多くの生存者が情け容赦なく殺された : ijn9266のブログ



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【JAL123便墜落事故】彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、火炎放射器で生きたまま焼かれた - 原発問題様より抜粋引用




【JAL123便墜落事故】

彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、火炎放射器で生きたまま焼かれた

国家機密を守るため、特殊部隊が編成され事故処理にあたった。

123便の乗客、乗務員はこの者達の手にかけられ、処分された。

殺人鬼が迫って来る瞬間、彼等は一体何を思ったのだろうか?

彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、

火炎放射器で生きたまま焼かれた。

待機命令に反し、人命救助に急いだ隊員は射殺された。

精神状態がおかしくなる隊員も少なくなかったという。

口外すれば家族にまで危害が及ぶと言う事を暗にほのめかされ・・

日航ジャンボ機JAL123便墜落事故(M氏の証言_完全版)

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=Pf3-eJgnOkM

2011/1/8

証言を箇条書き
・13日午前4時、公式発表ではまだ発見され
 ていないはずの墜落現場に自衛隊員が既に100名程度は来ていた
・自衛隊員は人命救助よりも何かの回収を優先していた
・4〜50名の生存者の声が聞こえた
・1時間後には生存者の声が全く聞こえなくなった。

~中略~

日本自衛隊・人命救助に急ぐ隊員を射殺! JAL123便墜落時には、

「待機命令に反して御巣鷹山へ怪我人救助を急いだ自衛隊員1名が射殺された」旨、当日のNHKニュースで発表

これもまた鋭い資料だ!!!

]2007年08月27日

●衝突6分前から気付いていた操縦クルー(EJ第1056号)
 JAL123便の操縦クルーは、謎の飛行物体にぶつかる少し前に気がついていたの
ではないかと思われるフシがあります。

 JAL123便が羽田空港を離陸したのは、午後6時12分のことです。そのまま順
調に飛行を続け、水平飛行に移行した午後6時18分過ぎ、右側に富士山と江ノ島が見えます。高度は、約3500メートル。富士山と眼下の相模湾が一望できる風光明媚な場所で、この場所を飛行するパイロットたちがホッと息をつく瞬間だそうです。
 そのとき、右前方から奇怪な飛行物体が飛行機に近づいてきたのです。あり得ないことであるだけに、操縦クルーに緊張がはしります。「危ない!衝突する!」
 それとほぼ同時に、座席中央部分の最後部から5番目に座っていた小川哲氏(当時41歳)も、その飛行物体に気がつき、それをカメラに収めているのです。この写真は、JAL123便事件の謎を解く、唯一の貴重な物的証拠として後世に遺ることになるのです。

(抜粋引用終了)

加藤紘一氏(当時の防衛庁長官)、

 事故当夜、現場の上空まで行っていた!!

 遭難者を救助する前に、


自衛隊が「大事件」証拠物件を搬出するのを見届けに行ったのか。

http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2010/08/post_1819.html

より(抜粋引用)

この"重大事件"を隠蔽しようと画策し、123便の横田基地への着陸を拒否し、2機の自衛隊機を発進させ、遠く御巣鷹(=地元)の尾根まで同機を誘導させた、その命令権者としての中曽根元総理は、当日、一体、何を考え、何を命令したのか?

 2機の自衛隊機が、ミサイルで123便を撃墜したという説(池田昌昭氏)もある。また、二つの原爆の様な「きのこ雲」が湧き立つのを見たという、多くの目撃証言もある。

 さらには、墜落した123便の機体後部(尾翼付近)に、ミサイルAIM4(オレンジ色の機体)が突き刺さっていたという証言(佐宗邦皇氏の言)さえもある。

 実際、ご遺体の識別や鑑識に関わった医師や歯科医師が、「単なる墜落事故の遺体とは思えない」と語っているのを、われわれは、すでに聞いている。

 それゆえ、私は、正直に問いたい。

中曽根元総理、あなたは、あの日、防衛庁、とりわけ航空自衛隊に対して、一体、如何なる命令を下されたのか?!

 何故、あなたは、墜落後の乗客の早期救出を命じられなかったのか? 事実、墜落直後、数十名の生存者がいたというではないか。

 そればかりか、早期救出に向かおうとした数名の自衛隊員が、待機命令違反というだけで、なぜ、射殺されなければなかったのか?!
 
加藤紘一氏(当時の防衛庁長官)、当日、あなたは、当時の中曽根総理から、一体、如何なる命令を受けられたのか?!

 第一、あなたは、事故当夜、現場の上空まで行っていたというではないか! 一体、何をしに行ったのか? 遭難者を救助する前に、自衛隊が、「大事件」の証拠物件を搬出するのを見届けに行ったとでも言うのか?!

(中略)

 実は、この時、操縦桿を握っていた佐々木副操縦士こそ、少年の頃、私が、心から憧れていた先輩である。まさに、「事実は、小説よりも奇なり」である。
 佐々木先輩のご母堂は、彼の没後、私の母に、こう語られた。「息子は、戦死しました」と。今、私には、この言葉の意味が、よく分かる。今日、そのお母様も、もう、この世におられない。

 『日航123便はなぜ墜落したのか 2010年8月9日』

(抜粋引用終了)

【JAL123便墜落事故】彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、火炎放射器で生きたまま焼かれた - 原発問題様より抜粋引用


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